ニューカレドニア:裁判所の拒絶,司法の罠と追放


ニューカレドニアへの投資者に警告:“交友関係”による“植民地”裁判とメディアに直面したRaoul MONTHOUELの例。罠の話。

無実の人間が,プロの検察官に対し自らを弁護しなければならない時,数々の形式上の荘厳で壮大な儀式とともに司法道具を通して検察官の執務室に入れられると,無実の人間はとりわけ攻撃されやすく,まさにパニック症状にみまわれ,完全に方向を見失い,力をなくすのである。不幸にも,司法は今日男女の遊び道具となり,我々社会の欠陥と暗黒面の実りとなっている。司法に従事するものたちは,共犯者なのか,犠牲者なのか? ある事は確かである,彼らが司法における組織と精神を形成しているということだ。
“正義は,不正の確立を是認する”
Anatole FRANCE (1844-1924. French National Academy, Nobel price
1921).

この事件において,被告に対し,偉大なる貢献をした人々(完全なるリストではない):
検察局 Mr Richard DUTOT, Mr SIMETE, Mr Jean-Louis PAGNON, Mme Fabienne OZOUX, Mr SIMETE
判事 Mr Jean PRADAL, Mr LAUQUE, Mr FRIAT, Mr BERNARD, Mme LE TAILLANTER, Mme DE COLLORS, Mr VIDALLIER, Mr Gerard FEY
判事補佐官 Mr Jean-Louis THIOLET, Mr GUEPY, Mme Anne AMAUDRIC du CHAFFAUT, Mme GICQUEL, Mr GRESEQUE
弁護士 Me Magali FRAIGNE, Me Serge BERQUET, Me Fredeic DESCOMBES, Me Caroline DEBRUYNE
海洋局 Mr Vincent DENAMUR    青少年スポーツ局 Mr Gilles ROULER   労働基準局検査官 Mr Philippe BOYER
PADIインストラクター Ms 河合 美和子   ニューカレドニア日本国名誉領事 Mme Marie-Jose MICHEL
“非公認”通訳者 Mme DELRIEU 敦子    S.P.T社員、Mr Richard DUTOTの妻 Mme たかはし まゆみ
S.P.T & ダイビング会社アリゼ経営者 Mr 堀 正孝   ダイビング会社ラグーンサファリ経営者 Mme Annabella DE CANDIA
アメデダイビングクラブ経営者 Mr Bernard
ANDREANI   コリーンエクスカーション経営者 Mr Jean-Francois CRUELLAS
海洋憲兵 Mr Marc RANDON, Mr Nicolas KERISIT
ニューカレドニア新聞社“Les Nouvelles Cal?doniennes" Coralie COCHIN, Philippe FREDIERE, Pierrick CHATEL, Mr Sylvain AMIOTTE, Mme Geraldine PION
バヌアツデイリーポスト Mrs B.J. SKANE - Mrs Glenda SHING    

1.序章

ニューカレドニアにおいて26年間,この海外フランス領で優れたダイビングサービスを提供するため,大きなダイビング船‘インペレーター’を含む何隻かのダイビングボートを使用する,最も立派な観光客向けダイビングオペレーションを私は作った;二度と便りを聞く事のなかった私より以前に存在していた多くの人たちと同じように,ビジネス上のねたみと友人関係の結びつきが私を追い立て,“ニューカレドニア丸”という船の望まぬ乗客となり,大海に瓶が投げ込まれるように去らざるを得なくなるまで,17年間事業を発展,経営してきた。

私はこのような失望を味わった最初の人物ではなく,事実26年間,直接関わった事はなかったが,抽象的な概念の一部,もしくは単なる噂や逸話の種として,私の経験と似通った数々の話を何度となく聞いていたのだ;そしてある日,そういった話の一つが私の身に降りかかってきた:私は渦中の人物となった!

おそらく私の話は、全てのダイビングサービスのマネージャーを筆頭に,少し前のフランス領において存在していた予審判事制度(*)や警察勾留の廃止に関する論争に関心を持つ人々の興味をかき立てるであろう。(この警察勾留は既に廃止されている)*公判にかけるかどうか決定するための判事による取り調べと審理
他方,“世界の果て” への投資を考えている方には,輝かしい角度からかけ離れた“トロピカルパラダイス”についての深刻な面を発見できるであろう;政治、社会、経済において、私が“拡大効果”と呼ぶものが付随する小さな社会:気がつかないどこかで始まり...周囲から浮き上がったり,異常な速度で事態が悪化したりするのである。

しかし,何よりも自由とコミュニケーションのすばらしい手段 “World Wide Web” に感謝の念を表そう。広大な海で迷う代わりに,私の小瓶はメッセージを届けるのである;投資者,移住者,冒険者,旅行者,友人にインスピレーションと考えの源となる本当の話を語るだろう...

2.5年後...

この何年かの私の精神状態は,比較が許されるのならば,裁判所が強姦事件の法廷審理の場において,法廷が強姦魔の一人に検察官の役割を与えた強姦事件の被害者のようなものだった...この強姦は,私の道徳と社会的価値を傷つけ,17年間の仕事を失い,私の会社を破壊する結果となった。これに関するメディアの報道は不公平にすぎ,穴の淵で一言も発する機会を与えられず,不名誉の穴に陥れられ,去る事となった

ここで私が言及する事件は,私の発言を取り上げない状態で裁かれた。出廷した検察官長の一人が作り上げ,メディアがリークし,起訴の説示となった事実とは別の説明をする時がきたのだ。私を支え続けてくれている親類家族,友人,知人たち,また興味を持つすべての人々に,私の観点から見た事実を考慮する事によって,彼らなりの意見を形成できるかもしれない。
私の説明の真実性と透明性を明らかにするため,調査報告書と裁判の中で完全に無視され,検察官オフィスの迷宮でファイルから消滅したかもしれない驚くべき公文書数点が,文中でリンクされている...

この話を書いている現在,この事件の最終章,もしくは“これらの事件”の最終章といった方が適切であろうか,私の会社,私自身,原告側をさえ巻き込んだ,何年間にも及ぶすべての法的行為に対する連続不正行為の後の,分別ある解放によって終わろうとしている。

私の弁護士が休暇から帰ってきた際に概要を理解できるよう,2009年1月9日に作成した,ビジネス的な事件背景の想起とともに,主要なできごとの年月順要約(フランス語文書)がある。その少し前,検察官長が私に弁護の用意をする時間を許さないままに,法廷への私の召喚を急いだ件があった(審理は2008年12月31日)。

ここに,その要約とその後に起こった事を記す。

 

3.終わりなき中傷

私は,一連の事件のクライマックスであった2008年12月31日の裁判への召還より5年後の今,この事について書こうと決心した。なぜなら,ニューカレドニアの他の新聞社が書いた記事をインターネット上で集めた中傷的な記事を,ポートビラ(バヌアツ共和国)の低俗な新聞社が同じような醜悪な振る舞いによって露出し,私はスポットライトの中心に据えられたのだ;私たちは,ゴシップ市場が勝者だと理解するべきなのか?

いずれにせよ,この2つの新聞社は,私について書こうと企画した時点で,私にコンタクトをしてくることは決してなかった。彼ら自身でこの視点は異議がないものと認めたため,根拠が確かな事柄となったのだ。非常に不可思議な新聞記者の職業倫理である...

このようにして,私の暗黒裁判時期に関連する全ての中傷的な主張がインターネット上に陳列された(フランスにおいては違法(フランス語文書):個人情報にアクセスする権利《data-processing and freedoms》 1978年1月6日修正)そして今,商業主義であることは疑うべくもなく、おそらくビジネス上のねたみも重なり...理由はどうあれ,“コピー,ペースト,翻訳”がされ,バヌアツの新聞1面紙上において記事が載った。私は“犯罪経歴を持つフランス人で、ニューカレドニアでのダイビングを禁止されている”という資格を与えられた。
しかし,“フランス語バージョン”の影響力がフランス語を話す人のみに限定されるのであれば、“英語バージョン”の持つ影響力は無限大であり,私に及ぶ被害は甚大である。
 “沈黙は同意なり”ということわざを考えれば,私は話さなければならない。

ニューカレドニアでの私生活,試練,苦難については,長過ぎるのでここでは書けそうにもない。“恨みを晴らす”事については,私はそれよりも“Carpe Diem!=今を生きる”方がよい;しかし,とりわけニューカレドニアの観光業界において言える噂,交友関係,ビジネス上におけるねたみ,無能力な行政とあわれな分別不足などにあおられた,まさに司法の罠を通して,地獄の穴に落とされるに至った経緯について,そしてバヌアツのメディアが私を手ひどく書いたことについてが,現時点での皆の関心ごとであろう。

これらの事件を如実に物語る部分とそれに関連する驚くべき書類について述べる前に,特殊な観光業界について考えを巡らせてみる事が適切であろう:

簡単且つ安上がりに,最も成功しているライバルを排除するにはどうすればよいだろうか? 最も効果的な方法は,交友関係を利用し噂を流し,行政とメディアに告発する事である。
この方法は,新聞紙が情報不足と発行部数を補うため,尽きる事のないゴシップソースにおそらく誘発されごく小さなものから壮大な物語までたくさんの新聞欄を与え,時にはそのゴシップ記事の犠牲者自らが罪をはらそうと記事を提供したり,不幸にもニュースソースや発行においていかなるコントロールも存在していないような小さな社会において,とりわけ効果を発揮するのである。
その破壊的効果は即座に現れ,別のまじめで信頼性のある新聞紙に使用される事によって“公式”のものとなるため,このようなメディア出版社は非常に有害である。さらに悪い事には,すべての法的手続きは何ヶ月にもわたり時間とお金を費やすものであるが,トラブルを引っ掻き回すリスクが存在する! これら小さな新聞社の管理者は,この事実を熟知しており,仕事を遂行しているのである。

少なくとも,司法界はこの仕組みを完全に理解しており,世間や政治家の意見,法廷命令に影響を及ぼすため,もしくは恨みを晴らす事を目的に,司法界自ら“メディアリーク”を迅速に組織するという事は秘密でもなんでもない。

しかし,もし新聞記事にかかれた事が大多数の者にとって“絶対的真実”であるのなら,いくら新聞自体の発行部数が限られていたとしても,今やインターネットの時代である。新聞のウエブサイト,簡単なブログなどが検索エンジンによって際限なくコピーされ,(多かれ少なかれ正確に)翻訳さえされて,消えない情報がウエブ上で広まる事は疑いようもない事実である。

 

4.ニューカレドニア裁判 : “大きな遊び”か“大きなおもちゃ”か?

2008年12月16日,私は大きな遊びをしなければならなかった...

終日,警察の勾留と取り調べ,(まるで映画のように)写真と指紋採取,手錠,警察車中にて待機,裁判所独房,検察官長Mr. Richard DUTOTに執務室にて紹介される。このノーム(地中の宝を守るとされた伝説上の醜い小人)のような顔つきの30代の男性は,(迅速に得られると期待していた)私の自白を引き出せなかった事に対し明らかにいらだっており,今,私を打ちのめすために,司法道具を利用しできる限りの事をしているのである。
彼に対し私は,ほぼ70時間の警察の勾留(*)と,この2ヶ月間で90時間にも及ぶ取り調べ,最終的には内容のない警察による山ほどの調査,捜査,差し押さえなどのため疲れきっていたので,最大限の無関心を装う必要もなく無反応である。最終的に,私は,この話の軽蔑に値する結果を見る事が待ちきれなくなっていた...
*フランスの法において,警察による拘留は,テロリズムに関係する特別なケースに関しては24時間から48時間に更新する事ができる。勾留目的は,限られた時間内に,地下の居心地の悪い独房監禁によって圧力で打ちのめし,自尊心を傷つけ,自白を引き出す事である。ヨーロッパ法廷では,このフランスの勾留システムを人権を尊重していない恥じるべき手段と評価した。今日のフランスにおいては,もはや認められていないシステムである。

検察官長は,裁判出廷の召喚を私に告げる...12月31日! 15日後に,事実を遥かにしのぐ、法律用語で罪を重くするよう工作された数々の詳細と共に“事実上のダイビング監督者事実上の技術監督者”の立場を与えられた“人物”として。 この段階で,私はもはや何事にも驚かなくなった。
そのよい例として,検察官長は,(犠牲者と仮定される、私のビジネス上のライバルの主張だけを根拠として)私の船が“他人の生命をおびやかした(フランス語書類)”という事件を加える。
そしてついに,この検察官は,全ての法が記載されているはずの官報に記載されていない,私がどこにあるのか全くわからず適用されない規則をもとに‘(ダイビング船に対する)労働協定に違反した仕事道具’という項目を加えたのである。

こうして,私に対し想像しうる限りのすべての容疑がここに出された:ダイビング監督者,技術監督者,ダイビングボートの船長,船そのものに対する労働協定不足。
検察官長はノイローゼだ! もはや何の反応もない場所を一生懸命にノックをしようと,遥か彼方に行ってしまっている。当時の私の心境はおおよそこんなところだった。
私の理性においては,“我々の”裁判所が罪名不足に直面したときに容疑を発明するのは不可能であり,有名な“推定無罪”は人が造り出したただの言葉だとは考えられないという,おそらく世間知らずの信念を持っていた。この時点において,こういった幻想はなくなり...考え直しようもないものとなった。

引き続き,“自由を司る裁判官”への挨拶での問題は:私を刑務所に入れるのか,そうでないか?(この段階で私は前科がない事,“犯罪経歴証明書において記録がない”事,容疑は私の会社のスタッフに関係するべきであった事などを読者に対してはっきりと述べておかなければならない。)
宗教裁判官の風貌を携えた尊大な裁判官は,両脇にアシスタントを従えている。緩慢な動作...書類を見て考えるそぶり...この3者は,彼らの権力効果が及ぼすものを明らかにゆっくりと楽しんでいる。質疑。応答。私の弁護士代理Mme J. BOUQUETは,その場に不似合いなかすかな声で,私の弁護を述べる。そして審議...待機...再び呼ばれ,寛大な慈悲により刑務所には入れないとの事。
私の弁護士代理は,15センチから20センチもの厚みがあるファイルを渡される:裁判前のこの14日間でしっかりと消化しきらなければいけないのだ! 弁護士のみがこのファイルを手元においておける権利があり,私には許されていないのである。

検察局では,私の弁護士Mr DESWARTEが休暇で海外に行っており,来年の1月初めまで帰国しない事をよく知っていたのである。このような陰謀がどうして可能なのであろうか?

私たちは裁判所を後にし,弁護士代理Mme J. BOUQUETはこの分厚いファイルを私に渡す...この紙の山を一瞥し,それから愚かで不快な虚偽を読み始める...そのすべてをよく理解し意見する事には,3ヶ月以上かかりそうであった。すべてが悪意ある批判である。不可能である。多すぎるのだ。

この時点で,私は,弁護士代理の Mme J. BOUQUETを維持する代わりに,他の法律事務所を訪れるというミスをおそらくおかした。しかし,“自由を司る裁判官”の前における彼女の弁護能力は,私にとても悪い印象を与え,問題は審理の延期リクエストが却下された場合,この12月31日に弁護してもらわなければならないという事であった...そして却下されるであろうという事は明らかであった。このような理由から,たとえ私の弁護士が後に帰ってくるのだとしても,友達の(間違った)アドバイスに従ってMme Severine BEAUMELを訪れる事を選んだ。

5.どのようにこの虚構裁判と想像上の罪名が現実のものとなるのか?

翌朝,検察官長の秘密の引き出しから直に作られた虚構に関する罪名のすべての詳細が,そのまま現実になった事を私は発見する...

まさに,ローカル新聞の最初のページにすべての罪名が取り上げられ,ニューカレドニアで唯一の日刊新聞とそのインターネットウエブ上において,様々に変化する不確定用語(ーによると,のようだ,と思われる,と疑われるなど)を注意深く見ている読者意外には,それらが真に正しい事やすべての罪名において私が非難されるに値する事が疑いようのないように載っているのだ陪審員による裁判を行う前に,メディアによる裁判を行われている。

不幸な事に,これはメディアの報道と検察官長Richard DUTOTの執務室から“リーク”される事の始まりであり,起訴への声明書と説示は地元の新聞を通して裁かれる事になるのである
市中と国中に流れているこのような広告に直面して,裁判所における12月31日の裁判はただの劇場パフォーマンスだと私は感じるようになった;なぜなら私は一般市民の意見によって既に裁かれており,このメディア裁判は控訴ができないのである。ブラボー,ミスターRichard DUTOT!

続きを読んでいただくに際し,ニューカレドニアのダイビング規則によって,アクティビティにおけるすべての責任は,“ダイビング監督者”(ダイブサイトに常駐)と“技術監督者”(ダイブサイトに不在も可)にあるという事を知っておいていただきたい。

2008年9月22日,日本人旅行者が溺れる事故があった日,下記の運営スタッフが直接関わっていた

このアクティビティのすべてが,日本人客と(会社と契約を結んだ)インストラクターの間で日本語の書類を使い,完全に日本語で行われており,私のように日本語を話したり読んだりする事ができないものが担当する事は不可能だ,という事実を思い出していただく事が不可欠である。会社が日本人インストラクターを雇用していた理由はその点にしぼられるのである。

6.なぜ私が“事実上の”ポジションと他者の責任の罪で訴えられたのか?

とても単純な理由からである:

出元は噂だが,検察官長Richard DUTOTは,私の地位が迅速に転落する事を約束したのである。(これについては別の章で言及する。)しかし事件は罪を与えるにはまさしく空っぽで,警察の取り調べにおいて私は屈服しなかった;さらに,私はダイビングと海洋規則についてよく知っていたので,的を得たコメントを出していたのである。そして,私が船上にいる事は横暴にも許されていなかったし,それに勝る横暴な事に,アクティビティを行うために必要不可欠なダイビングコンプレッサーは理由もなく使えないように封印されていたのにも関わらず,私の大きなダイビングサポート船は極端にも毎日動いていたのである。さらに悪い事に,他に法的に止められる理由がなかったのだ。

私の会社は法的な面においては,雇用規則も含め完全にすべての必要条件を満たしていたにもかかわらず,今回は労働基準局に検察官長は幾度も直接の照会を行い,基準局の役人は多種多様の労働規約の法律違反の証拠(この人物は明らかに“証拠”と“視点”を混同していた)を検察官に主張したのである...ヌメアダイビングのすべての雇用と役職は虚構のものであるか,正規のものではない...言葉が見つからない!

この瞬間から,検察官は,彼らの大権を行使し“事実上の”責任を引き受けさせて,私を他の人間の代わりに召還できると考えたのだ。

12月31日,私を出廷させるだけでなく,労働規約における多くの(証拠なしの)違反の罪が確立されたと考え,それを参考として,最も重要に関わっている人物,日本人インストラクター河合美和子(私の罪の犠牲者として) を完全に解放する法定審理の討議をする,この点を指摘する事は取るに足らない事ではない。
しかしながら,5年後の2013年10月7日,私は裁判所命令で完全に解放されたのである! 不幸にも,検察官の罪,怠慢,虚偽...などを基盤とした司法とメディアの私刑を受けてから長過ぎる時間だった...しかし検察官は全く無実なのである。このような行動について,彼らをどう規定するか今もって私にはどんな激烈な言葉も思い浮かばない。

7.「審理をさせるな」

その頃,他のフランス領の検察官で,以前にフランスの裁判官の学校で先生をしていた人物が,休暇でヌメアの友人宅を訪れており,私は彼に紹介された。
2008年12月31日の法定審理の何日か前に“私の事件”を彼と話していると,彼は刑法を開き,同じ判事からの一つの事件に関して,主要な照会事(過失致死)と平行して異なった照会事で69時間を超える警察の勾留がされている事実,本来は24時間の更新のみが許されている事実とによって私の人権が守られていない事を示した。彼は,私に手続きエラーすべての訴訟手続きがキャンセルされなければならない事を説明したのである!
さらに詳細と審理の日時を語ったところ,彼は私に「31日に審理をさせてはいけない,この裁判は司法の罠だ」と警告した。この行を書いている現在,私は彼の適切な評価に脱帽している。

事実,事件のすべてがある意味では非常に批判しやすく,まさに驚くべき事ばかりである。(調査報告書と全ての裁判において無視された)証拠によって,誰にでもすぐに理解できるの事ばかりなのである:

  1. 事件の数日後,ニューカレドニア日本国名誉領事'Marie-Jose MICHEL'は,検察官の許可のもと,一刻も早くダイビングインストラクター河合美和子をヌメアから出国(フランス語文書)させるよう渾身を尽くしていた。
    1. 彼女を煩わせるだけでなく,たった一人の直接かつ特別な目撃者であるにもかかわらず,裁判への出廷は問題外なのである!
  2. 既に検察官長Richard DUTOTは問題を自分で取り扱い,他者にまかせようとはしなかった。
    1. その結果,裁判官の指揮による調査はなかった。
    2. できる限り私に罪をかぶせる事を目的とした,Richard DUTOTの調査が全てを引き受けた;
    3. 私を釈放する事実(河合美和子に対する絶対的な罪名)の全てが組織的に却下された
  3. 事件のすぐ後,警察のオフィスに私は呼び出された。
    1. 事件の担当官キャプテン“J”は,私の目の前で受けた電話で明らかに苛立っており(次の電話の際には退出を促された),検察官長Richard DUTOTが“この件を個人的に引き受けた”と述べた。
    2. おそらく彼はこのような電話を好まなかったのであろう事と,私がその場にいた事から,そのニュースを私に伝えたのであろう。
    3. 加えて,私は保護される日本人インストラクター河合美和子の責任を取るのである...
  4. 事件のあった晩遅く,警察は被害者のダイビング器材の差し押さえを気にかけた。
    1. しかしその朝から使った全ての器材は洗って,船にある他の器材と共に保管されていた。
    2. インストラクター河合美和子の,「全てダイビングはうまく運んでおり,問題はダイビング終盤で“エア切れ”をおこしパニックに陥った事だ」と証明する証言書類(英語文書)があるにもかかわらず,器材コンディションと溺れた事の因果関係を成立させる目的で、現物であるかどうかもわからずに差し押さえられた。河合美和子の証言書類は、調査報告書と裁判において完全に無視された。
    3. ダイビング器材の調査は...私のライバル会社のものに引き受けられた。(ダイビングコンプレッサー調査も同様であった)
  5. 私はすぐに,何度も中断し再開される警察勾留に取り入れられ,海洋憲兵による会社の経営状態や運営状態などへのたくさんの異なった調査を口実に,最終的にはずいぶんと時間を延長された。
    1. 警察勾留は,刑法で許され,制限されている時間を気に留める事はなかった;(24時間の更新の代わりに)私は68時間以上勾留され,そのほとんどの時間が地下の独房に入れられた。(暗い中で,時計や眼鏡を含む全ての持ち物を没収されていた)
    2. (自宅を含む)警察の捜査,差し押さえ,質疑は,88時間以上にも及んだ...
    3. しかし,全ての方面においての調査の結果,どのような罪状も自白も取れず,新しい調査が全ての方面において始められた。一般常識から外れた情け容赦のない調査が際限なく続いた。
    4. 弁護士や保険会社とのやり取り,事件と関連する全ての書類をも含んだ私のコンピューターは自宅において差し押さえられた。(現時点でまだ戻ってきていない)
    5. 検察官のファイルが空っぽで事実上の行き詰まりである事を私は簡単に理解できた。(過去16年間のライバルからの告発状や前回の運営調査などによって鍛えられ,私は罠に陥りがたくなっていたのだ) 
    6. であるからこそ,私を打ちのめし自白を得るための圧力は,警察の取り調べにおける時間や勾留においてさらに苛烈になった...後に検察官側は私の“自白への抵抗”により警察勾留を正当化するのである。(なんと恥知らずな事か!)
  6. 検察官長Richard DUTOTは私を打ちのめすため,明白な証拠があるにもかかわらず,全ての責任が私にあると認めさせたかったのだ。
    他者の監督を必要とせず,自分自身でダイビングアクティビティを管理する能力があった,ダイビングインストラクター河合美和子は,事故の前に,事故に直接つながる数々の過失行為と弁解の余地のない失敗を蓄積した。
    1. ダイビングにおいて絶対的に避けなければいけない事柄を尊重しなかった失敗
    2. 空気の残量を知る事ができる残圧計のチェックミス
    3. カップルの女性が個人的ケアを必要としており,カップル二人で一緒に潜る代わりに,一人ずつ潜るべきであったのに考慮しなかったミス
    4. そして総まとめとして,ダイビングを教える際の基本のABCである浮力問題に直面した際に,解釈できないほどの無能力ぶりであった事:水面に浮くためにはウエイトベルトを取り外すのである
      そして,私は警察官から,友好的に自白をするか,もしくは事件を悪化させて刑務所にはいる方がよいかという脅しを受けたのである。
  7. 私の自白を得られなかった最初の警察勾留の後,検察官長Richard DUTOTは,私を保護観察状態におく事で,会社の活動を停止させようとした
    1. 私はダイビング船上にいる事を禁止されたのである! なので私は陸にいた...
    2. しかしダイビング船は活動を続けた。Richard DUTOTは,怒り狂っていた!
  8. 一方,ダイブコンプレッサーは使用できないように封印されていた。
    1. 非のうちどころのない空気分析の結果にも関わらず,封印が解かれる事はなかった。
    2. 封印を解いてもらうために書いた数多くのリクエスト(フランス語文書)は気にも留められなかった。当然,この横暴な決定は,私たちの提供している1日トリップ3ダイブを維持するための大きな問題を作り出した。(1年後,コンプレッサーは封印されたままで,解かれる事はなかったのである。)
    3. 会社の経済的責任に直面したため,会社の財産と私物を売る事となった。
      そして私は,これらの驚くべき調査の始めに警察のキャプテン“J”に別の方法で言われたように,検察官が“皮算用”をしている事を完全に理解した...
  9. しかし,調査が進むにつれて,日本人インストラクター河合美和子に対する(前述のような)根本的な責任の証拠がすぐに挙がってきた
    1. 未亡人がもう一人の日本人インストラクターに届け出たことによって発覚し,ダイビング船上で押収された書類によって確認できる事実を未亡人に質疑をするようにという私の要求によって,警察のキャプテンが困惑している事を私は見て取れた。
    2. 何度もキャプテンは検察官長に報告する電話をかけていた...
    3. これらの“調査”と報告書によって,日本人インストラクター河合美和子に対する完全な容疑の不在(全てが私の責任)という結果となった...
  10. 私の所持している証拠に何があるだろうか? それらは警察の捜査の段階で,私のコンピューターと共に押収された。しかしここにいくつかの物証をあげてみる:
    1. 犠牲者は,ボート上でダイビング前に必ず記入しなければいけない病歴書(日本語文書)を記入していたのだが,この犠牲者がある質問に“はい”を示すチェックをつけていたので,彼はダイビングをしてはならなかったのである。日本人インストラクター河合美和子は,ダイビング禁止が公式に書類上で明らかにされているにもかかわらず,続行の主導権を握ったのである彼女はそれについて何も報告しなかった。
      もしもこの事実が未亡人からもう一人の日本人インストラクターに報告されていなければ,書類が警察の捜査によって差し押さえられ片付けられていたので,完全に無視され,全ての関係者(河合美和子と未亡人)はニューカレドニアを去っていた事であろう。どちらにせよ,調査報告書と公判においては完全に無視された。
    2. 日本人インストラクター河合美和子は,事故の詳細報告書を書いていた;この報告書(英語文書)は彼女に対する責任を象徴する物である:これは押収され調査報告書と公判において完全に無視された。
      彼女は明白に認めているのである:
      「ダイビング中,ボートの近くに戻ってくるまでは全てうまくいっていた...という事を私は証明する」;であるから,(器材のセットアップとチェックは彼女自身が行った)ダイビング器材に問題はなかった。報告書にはこう続けられている:「松本浩章氏は突然エア切れをおこしパニックとなり,私は水面上に彼を維持しようとしたが,重すぎた。」
      よって,全ての人に,たとえダイビングを知らない人にでさえも,河合美和子は単純な“エア切れ”の状況において対処する事ができなかったのであり,氏は彼女の手中にありながら、水面で溺れたのだ...という事が理解できる。
    3. 事故後,私が最初にした事は,会社の社長として全責任を私自身が引き取る事であった。
      よって私は,事故状況について自発的に報告書(英語文書)を書き,『ダイビング監督者』として自ら署名し,日本人インストラクター河合美和子と事故発生時に船上にいたもう一人の日本人インストラクターの二人が,私の声明書が正確である事を記載,連署した。その証明書には,
      「(前略...)ダイビング終了後の松本氏のタンクが空であった事を確認した」と明白に記してある。 事実には必要不可欠であるが,河合美和子の責任に罪名を与えるのに使用できるかもしれないこの書類は,調査報告書と公判において完全に無視された...他の書類と同様に。
  11. ある時,このような情け容赦のない冷静さを失った取り調べをする検察官長 Richard DUTOT自身について,もう少し知ってみよう考えた。
    1. まず驚いた事は,彼の恋人が日本人である事。
    2. その次に驚いた事が,この恋人が“サウスパシフィックツアーズ/堀正孝”のもとで働いている事だった。この会社は,私の主なビジネスライバルである日本人ダイビングオペレーター“アリゼ/堀正孝”のパートナー会社なのである! そしてアリゼは他人の生命をおびやかした”という事件の原告側の一社である...
  12. 私は弁護士に電話をかけ,検察官長Richard DUTOTに対する共謀の罪を確立するために,恋人Missたかはしまゆみの勤務場所において裁判所執行官による声明書(フランス語文書)をリクエストするべきだと私の意図を伝えた。
    1. もう一つ驚いた事が,私の弁護士の電話口での攻撃的な口調であった:「何のためにそんな事をするんだ!」 少し動揺しながら,私の弁護のため...弁護士のためである事を説明した。そうして弁護士の了承を得たが,大賛成という雰囲気ではなかった。この弁護士の配偶者が裁判所の裁判官であるという事実に私は疑問を抱いていた...何か関連があるのか? ずっと後になってから,この弁護士は,社名は特定しなかったが,私のライバル会社でダイビングをしていると述べた...ひょっとすると私に関する噂に弁護士も惑わされていたのか?...
    2. 私はこれらの全てについてずっと考えていた...事件の中心に,日本国籍の人物を関わらせる事は問題外であるという事実を,私はまもなく理解しはじめるであった;事件が日本人マーケットへの依存が大きい(私の会社ではなく)観光業において悪評を起こすという事だけはなく,私の会社が“サウスパシフィックツアーズ/堀正孝”と“アリゼ/堀正孝”にとって恐ろしいライバルであり,またこれらの会社が危機的な経済状況に陥ってはいたが,地元での強い交友関係を持っていたのである...私を排除するまたとない機会だったのだ。(“SPT”は2010年に買収された...)
    3. しかしそれだけではない。時が経過してみるとこのときの事を多角的によりよく判断する事ができ(次章での書類を参考),“ある人物”はかなり以前から私を片付ける準備をしていたのだとはっきりとわかった...検察官の執務室の秘密の引き出しの中。原告側ライバルの十分なアドバイスに従いながらの事であろう...
    4. 何はともあれ,検察官Richard DUTOTと日本人の恋人“Missたかはしまゆみ”の関係,そして“Missたかはしまゆみ”とライバル会社“サウスパシフィックツアーズ/堀正孝”“アリゼ/堀正孝”の関係を声明書は疑う余地のないものとし,私に関連する全てのケースの原告側3社(アリゼ/堀正孝,アメデダイビングクラブ/Bernard ANDREANI,ラグーンサファリ/Annabella DE CANDIA)は,検察官と共同で裁判を起こしたのだ!!! 完全に明らかであった...
      しかしながら,この声明書は公判において完全に無視されたのだ...弁護士は,私の弁護にその声明書を全く使用しなかったのである。疑問の声が聞かれるに間違いない:これは一体全体どういう事なのか?!!
  13. 2008年10月28日、“権威の悪用と執拗なやり方”というフランス本国の司法大臣宛の手紙(フランス語文書)を書いた;私は、弁護士に手紙を送らないよう説得された...
  • 保険会社DANヨーロッパは,調査のためにオーストラリアから調査官を派遣した。この調査官は事故状況についてのよりくわしいものを報告書(英語文書)にまとめた。
    調査官は,私の声明書と共に,目撃者としてのもう一人の日本人インストラクターからの声明書を確かなものと確認した。しかし調査官は(私の弁護士と同様に),事件のどのような書類も全く閲覧できず,当局関係者の誰とも会う事ができなかったのである:全てが“ブラックアウト”したのだ。

    序文において述べたように,2009年1月に行われた告発と調査において,弁護士がよりよく状況を理解できるよう年代順出来事を含めたヌメアダイビングの歴史(1992−2009, フランス語文書)がある。
    ダイビングビジネスに関連した商業的雰囲気と態度がよく要約されている。

    5年後の今,私の“サイコロは細工をされていた”ので,国を去る事にした私の決断は全く持って正しかったのだと理解している。

  • 8.裁判官を前に8時間の起立

    私は自分の弁護士が休暇で海外にいる間に,“ダイビング監督者”と“技術監督者”として責任に立ち向かう一方,真にその資格を与えられる人物たちは,ショーが行われている法廷で観客として座っており,あるいは日本の自宅にいたのである。しかしながら,会社において自分が全ての仕事,義務,責任を同時に背負っているのかと考え,私は内心一人で笑っていた。
    Mrs Severine BEAUMELが私の弁護を担当していた;若く,美しく,意欲のある人物である。前日,私は彼女に審理の延期要求を書き,念を押したが,夕刻,彼女は検察官から電話を受け,弁護を行うイニシアティブを取った。どちらにしろ,私は延期願いが聞き届けられないとわかっていたのだ。しかし私は経験不足と刑法の間違った解釈によって,彼女が手続きエラーを理由にキャンセルを要求する勇気がないのだろうと思っていた...満場の法廷において大異変を起こすはずであったのに!

    私はスピーチを許されてすぐに(私は自分でスピーチできる事を強く願っていた),69時間におよぶ警察勾留について抗議を申し立て,検察官長Richard DUTOTの怒りをかき立てた。彼は立ち上がり,恐ろしく攻撃的な声で「それは間違いだ!」と叫んだ。(しかしながら,彼はもし私の弁護士がその場にいたら,必ず指摘したであろう事を完全に理解していたし,だからこそ弁護士休暇中の31日に出廷を要請したのだ。)
    そのときの私の弁護士
    Mrs Severine BEAUMEL何も言わず,その何時間か後,明らかに睡眠中の観客と陪審員を目覚めさせるには不可能な女性的な声で説得力の全くない弁護をした。彼女は演説の最後に,事件からの解放を要求した。実はずっと後になってから,これが刑事裁判における彼女の最初の演説であったと知らされた...彼女が私に知らせた事実とは全く違うものだった。さらに悪い事に,彼女は法廷弁護士事務所において新入りだったため,“お金を稼ぐ”必要性があったので,保険会社からの支払いを待たずに,保証金として渡していた4,200ユーロのチェックを即刻現金化した。
    またこれも後に教えられたのであるが,裁判キャンセルへのリクエストは,裁判開始の一番初めに私の弁護士によってただちにされるべきで,この機会を最後にその後では遅すぎるのだった。
    彼女はこの事実を知らなかったものと私は考えている。なぜなら私は前もって弁護士にこの重要案件について何度も念を押していたからだ。地下の独房に入れられた事への恨みを晴らしたいと強く願っていたのだ。

    議長をしている裁判官は,審議の始める前に,全ての件を同時に審理するには量が多すぎて不可能なので,過失致死事件を除き,他の全ての事件を延期するように決定した。
    検察官長
    Richard DUTOTが不満の意を表したので,議長は,検察官長が望むようであればいつでも,他の(延期された)事件についてこの事件で参照にできる事を述べた!(まるで既に裁かれたものであるかのように...そして罪名が確定されたかのように!)我々は,“本物のフィクション”にはいったのだ...“大きなゲーム”のようであった。私は網に捕まったような気分であった。弁護士はあまりにも静かだったので、私は完全に存在を忘れていた。
    私は
    証人席に立ち審議の最初に議長裁判官が読んでいる調査報告書メモを取っていた。
    驚くべき証拠の主張と共に,もっぱ非難を元に作られた仕事に気がついた。その例は:

  • 2008年12月31日:“大きなおもちゃ”
  • 普段であれば,年越しパーティの準備している頃,ヌメアの裁判所の主法廷において,背後にたくさんの観客を従えて,不名誉の椅子が私を待っていた。私は被告席のしきりの中,全く愛想のないしかめつらの裁判官の演壇に向いて起立していた。私は2008年最後の醜悪な劇の主演男優で,事実,劇中の大きなおもちゃであった。
    何年間も私のライバルたちによって広められてきたたくさんの噂とビジネス的なねたみ,そして最近の行き過ぎたメディアの報道の話題の主である“私”の事件は大きな注目を集めた:私のライバルたちはもちろん,海上憲兵隊までも民間人の服に身を包みその場にいた。
    何年間も私は正しい人物でいなければいけないと悟っていた。今,私は“正しい人物”として非難に立ち向かわなければならない。
  • このような感じであった。私の弁護士はこの事について私に話さなかった;彼女は裁判の前に,短時間でこれだけ分厚いファイルを読む事ができなかったと私は考えている。
  • 私は完全に“私の”事件と関連する全ての規則をわかっていた。十分に自己弁護する事はできたのだが,議長裁判官のあまりにも長い演説の後に答えるのである。あまりに多くの間違った主張を読まれ,証人とも考えられる全ての観客にそれを聞かれ,怒りの煙で充満した頭で,30分間以上もその一つ一つを頭に止めておく事は難しすぎた!
    静かではあるが私の背後に感じられる満場の法廷の気配と,何度も私の後ろにやってきては,メモを取る事をやめて概要を読んでいる議長裁判官の方を見る事を要求する私の弁護士,私は大きなプレッシャーを感じていた。

    何時間も続けて立っていたので疲れてはいたが(8時間の審議の間,私は着席を全く許されなかった),全ての適応される規則と合致したデモンストレーションをしていたので、どの項目においても法的にとがめを受けない事に,私は自信を持っていた。
    しかし,プレッシャーから,この事件の訴訟手続きのすべての茶番劇において,私の処遇があらかじめどれほど決められていたか,私は気がついていなかった。
    検察官長Richard DUTOTは,私の身柄を今すぐに刑務所に収容する事を要求したのだ! 年越しのディナーのために...幸運な事に,議長裁判官は従わなかった。
    既に述べたように,これはある種壮大なフィクションで,この裁判のすべてが大きなお楽しみなのである。

    翌日,新聞は私が驚くべき方法で自分を弁護したと述べた。観客は全ての罪が前回の記事や噂,起訴説示の中で述べられたようにはっきりとしたものではないと,ついに発見したようだ。

    私は自己弁護する事が罪となるのである...。

  • 9.“身に危険を感じましたか?”

    しばらく後,2009年3月に“他人の生命を脅かした”という,ライバル会社3社からの公式な抗議の申し立てによる事件の審議があった。

    ついに,ライバル会社3社のうちの1社“ラグーンサファリ/Annabella DE CANDIA”からの2008年2月9日の事実による新しい抗議の申し立てによって,私は2009年3月20日,法廷に召還された。
    前回の抗議は,どのような理由で成立しなかったのか私は覚えていないのであるが,私の弁護士の法律事務所を通し,そのファイル(フランス語文書)を閲覧し、反証の書類を作った。
    原告から提出された証拠は嘘をついているだけでなく,“他人の生命を脅かした”という点を,繰り返し,よりいっそう罪を重くするようされている事が明らかなものであった。彼らの警察証明書,海洋規則,ダイビング規則により私の反証を作りあげた。疑いようもなく非常にはっきりと正確な反証で,私はとがめを受けなかったのである。

    私が召還された“ラグーンサファリ/ Annabella DE CANDIA”からのこの新しい抗議は,上記で述べられた前回の抗議から2年越しのものである。ここで私は読者に思い出していただきたい。この件は,事件の全てをさらにひどいものにするよう,特に私にあわれで悪いイメージを与え,16年間のダイビングアクティビティの非のうちどころのない(模範的とも言える)行為を横に押し流し,過失事件が“水漏れしないよう”後押しするため,元々過失致死事件と共に審理するようにされていたのだ。

    元々の抗議への私のはっきりとしたコメントは,2009年3月20日の裁判の際に私の弁護士によって裁判所に提出されたが,(過失致死事件の全ての証拠のように)ゴミ箱に捨てられたであろうことは,疑いようもない...この後を読めば,すぐにわかってもらえる事であろう。

    事件について司法界と海洋当局の間で何らかの取引があったのであろう事は,非常にはっきりとしている。下記リンクの書類が如実に語っている。(書類の全ては当局と訴訟手続きにおいて完全に無視された):

    1. “他人の生命を脅かした”事件の全ては,私のライバル3社(アメデダイビングクラブ/Bernard ANDREANI, アリゼ/堀正孝,ラグーンサファリ/ Annabella DE CANDIA)からダイブサイト上で起こった出来事への抗議を元にしており,この3社は共に“NCP”というダイビング協会を設立している。
      “シナリオ”は,毎回同様のものである。
      1. これら3社のダイビングオペレーターは,“事件”のすぐ後,私に罪をきせるために真実を曲げて海洋警察に正式に抗議をする目的で,(彼らと私のクライアントである)ダイバーと私の会社の船を意図的に危険に陥れた。原告は犠牲者であり,抗議の主導権を握るという前提から始まるのである;このような行いは、私の会社がダイビング船の定義への同意(フランス語文書)について海洋局と行政訴訟中だという事実に後押しされるのである;結果、原告(とそのアドバイザー)の全ての抗議は、私が法律違反だという結果になるのである...組織的に私の不利益である。
      2. 当局からの公式な報告書はいっさい存在せず,全ての主張は原告側,従業員と簡単に影響される顧客からの声明書のみに基づいていた。
      3. 3つの違った会社から出される抗議の事実は,彼らの報告に信頼性を与えた。(ビジネス上で私の会社と競争にあったという事を思い出していただきたい)
      4. このようにして私に対する証拠は集められ,私が警察に状況説明のため呼び出された時には,私と同じ立場にいる日本人ダイバーのすべてがニューカレドニアを去った後なので,何の反対声明書も出せないのだった。
      5. 原告側顧客による正反対の証言もあったのだが,顧客の大多数は元々原告側と仲が良く簡単に順応するので、一般常識と真実を見いだそうとする者意外は,簡単に覆ってしまうのである...
    2. 2006年2月以降,ライバル会社の行いと,事実の1,2ヶ月後に時をおいてやってくる状況説明への警察の召還のため,海洋局長宛に(通常手順である)海洋レポート”(フランス語文書)を書く事に注意を費やした
      1. 明白な証拠を当局に差し出すため,写真とビデオを記録するためカメラは船上に常備した
      2. 私の海洋レポートは全て同じ題名であった:“アメデダイビングクラブ / Bernard ANDREANI”“アリゼ/堀正孝”と“ラグーンサファリ/ Annabella DE CANDIA”によって“ダイバーの生命を脅かされる”
      3. 私はライバルからの(上記に述べたような)危険行為に対して自分自身を守らなければならず,通常手順は“海洋レポート”である。それに応じて必要措置をとるのが関係当局の義務であり,事態は切迫していた!
      4. 事実の重要性の点で,少なくとも,ダイブサイトにおける海洋警察の何度かの視察を期待していた。
      5. しかし海洋レポートは全て気に留められる事がなかった...2年間
    3. 2007年11月5日,あまりにたくさんの抗議があるため裁判所に召喚される前に弁護士に状況とビジネス上のライバルの行為をさらすために,手紙を書いたこの手紙(フランス語文書)は上記に述べたようなよい例である。
    4. 2007年11月28日,再度,事実を海洋レポート(フランス語文書)で抗議した。
      1. ヌメアダイビングは,組織的にダイビングボートとダイバーに接触してくる3つのライバル会社のターゲットである。
      2. フランス人インストラクターの公式な声明書を証拠として報告書に添付した。
      3. 私の報告書は,他の全ての書類と同様、当局から完全に無視された...
    5. 2007年12月30日,私は海洋局長宛の新しい海洋報告書(フランス語文書)に海洋規則からの抜粋である下記の項目を(報告書内に赤字で)書いた
      1. 『用心とはまさに真の能力の印である。自分や他者に危害を与えるような全ての状況を避ける事を奨励する。』
      2. このレポート(フランス語文書)は,“ラグーンサファリ/ Annabella DE CANDIA”が故意に他者の生命を危険にさらした件に関するものである。当局には顧みられなかった...
    6. 海洋報告書は次から次へと続き,ほぼ毎回のダイビングトリップに一つ書くような感じであった!
      1. 明白に何らかのマイナス方向への指示が与えられていた。さらに,私が当局に安全性と危険にさらされている問題の“警告サイン”を出したにも関わらず,これらの報告書は(海洋局と検察局によって)完全に無視されたのである。
      2. 2008年2月7日付の海洋報告書(フランス語文書)がよく表している。:私が“他者の生命を脅かした”という事件で2009年3月20日法廷に召喚された元となった(2008年2月9日の)抗議の,わずか2日前の出来事である!! 同じ日,同じ時間に非常に正確に時間ごとの詳細を報告した私のダイビング船日誌を読んだ後では,原告側の主張が特別過大に強調され,全てが作られた(グロテスクなほど)堪え難い書きようで召還(フランス語文書)されたのである。このコピー(手紙の2ページ目,フランス語文書)は,弁護士に提出した。
      3. 海洋報告書,ダイビング船日誌:すべて組織的に無視された
      4. 私が非難し犠牲者であった,他者の生命を危険にさらすという事実に対し,“誰か”が何も考えずゆっくりと閉じた網に,私は捕まったようであった。続きを知った時,まるで逆説のような信じられない状況である。
    7. 実際,私は完全にライバルたちの情けにすがっている事を悟らなければいけなかった。
      1. 彼らは,意図的に全ての(ダイビングと海洋)規則を破っていながら,全く罪はないのだ。
      2. 私の小さなダイビングボートは,意図的に2度危険な衝突(フランス語文書)をされ,事故を起こしたライバル‘Jean-Francois CRUELLAS’は笑いながら去っていったのである。私の抗議にも関わらず,事件は検察官の執務室において幕を閉じられた。
    8. “ラグーンサファリ / Annabella DE CANDIA”の抗議の結果,2008年2月28日海洋警察による質疑の後,
      1. 2008年3月3日,損害のため個人的に訴訟手続きを始める意図(フランス語文書)を伝えるための手紙を検察官に書いた。
      2. 取り扱われない手紙...さらに悪い事に:わたしは裁判に召還され,誰もが知る続きとなる。
    9. 上記の抗議に関連した行動が何も起こされないので,5ヶ月間,何度も弁護士に手紙の行く先を追求し,電話をした:“ラグーンサファリ/ Annabella DE CANDIA”抗議ファイルは紛失したようである...そしてその件で私たちへの訴訟手続きを発見しなければならないのである。
      1. ファイルは,質疑終了の後,検察官オフィスへしっかりと返却された,と海洋警察は回答した。
      2. しかし,2008年8月25日,裁判所の事務員が,ファイルは検察局にはないと私の弁護士に回答した...
    10. 2009年2月16日,“ラグーンサファリ / Annabella DE CANDIA”の抗議の結果の”他者の生命を脅かした”という件で裁判に召還される3月20日の審理を前に,(新しい)弁護士にこの問題について説明する手紙(フランス語文書)を書いた。(私には憤慨し,無力に感じる多くの理由があった)
  • 真実の話は?

    上記2009年2月16日の弁護士宛の手紙と,2008年12月31日の裁判を前にRichard DUTOTから12月16日に召還を受けた件で見えてきた事は:

    検察官長Richard DUTOTは私に関連する事件,(おそらくすべての)ファイルを事態が煮詰まってくるまで持っていたものと考える確かな根拠がある。よって:

    私は文字通り全てのダイバーと共に“ライオンの檻に投げ込まれ”,危険にさらされた。

    (軽く見積もっても)非常に疑わしい海洋局長Mr Vincent DENAMURの振る舞いについて...

    利害関係において

    事件のあった日(2008年2月9日),ラグーンサファリ / Annabella DE CANDIAのダイビングボート上のダイバーの一人であった人物が,2009年3月20日の審議に来ていた;原告側が法廷に来なかったため,彼は“ショー”に来た唯一の原告側サイドの事件を知る人物であった。

    議長裁判官が聴衆に向かって,誰か事件の日にその場にいた者はいないかと尋ねた時、討議で自分の意見を言う機会がおとずれた:
    裁判官:「あなたは身に危険を感じましたか?」
    証人:「いいえ、全く」 彼は素直であった...これ以降,彼について話すものはいない。

    私はまさに没落する男で,この裁判は茶番劇であったが,全く面白くないものだった。これは罠だとあなたは思いますか?

    判決は他の事件に見合う:

    特に2008年2月9日の事実に関して,その声明書,証言と矛盾した証拠,事件ファイルが完全に恥知らずな虚偽と多数の規則違反で原告側に罪があるのにも関わらず,私は(州裁判所において)判決を言い渡された。
    ラグーンサファリ / Annabella DE CANDIAに罪があり,私が無罪となるはずの全ての書類(Mr PD や Mr MFの証言など)は,当局から完全に無視され,もちろん、裁判所に置いても同様に無視された。(証言はPD氏もしくはMF氏)

    2年間の私の数えきれない海洋報告書,警告,災難は何であったのであろうか? 事件の重要な証拠であるにもかかわらず,無線ラジオ16チャンネルにおける通話記録を入手できなかったことについてはどう考えればいいのであろう? 

    告訴と結果の重要性の点において,ここでも,判事による調査が欠落している事は驚くべき事である;調査は検察官長Richard DUTOTの手中におかれ,さらに:共謀の証拠まであるというのに!

  • 判決は極端に気違いじみたものであった:即時効力を発する3年間のダイビング禁止
    言い換えれば,ビジネス上のライバルの主張だけを元に,私の会社は終わりを告げられた。
    想像もだにしなかった展開である。(この判決がくだされるまで,ダイビング船は活動しており,何者も“法的に”止める事はできなかったのである)

  • 判決が“即時効力を発揮する”のであれば,なぜ控訴しなければいけないのか。全てがある事を目的とした明白なデモンストレーションでないのか:私を削除するという目的の?
    私に危険性があるのか? たった一つの事故も起こさず,16年間日常的にダイビング活動を行ってきたというのに!
  • しかし,弁護士が“受け入れる事のできない”判決に控訴する事を主張したので,そのすすめに従った。保険会社が支払うべきなのである。このとき私は既にフィジーにいた。幻想は消え失せ,裁判と行政長官たちへの深い失望が残った。このような事が可能であるとは全く想像もしていなかった。
    現時点で,控訴から4年が経ち、既に控訴審が行われる事を期待していない...私は“忘れられた”のである。
  • このように、“過失致死事件”において全ての責任を取り,“他者の生命を脅かした”偽りの事件で判決を受けた後,ヌメアダイビングがニューカレドニアのダイビング業界から削除された事は驚きでもなんでもない。
  • しかしこれで終わりではない! まだ新しい展開が残っていた。
  • 10.さようなら...ニューカレドニアギャングの地

  • 私の司法義務を果たした後,2009年12月1日午前5時頃,私の日本人パートナーと幼い二人の子供を連れて,フィジーへと規則に従いながら実に自由にヌメアを出発した。
  • *この章、略
  • 11.ニューカレドニア労働基準への多数の違反:逮捕令状リクエスト...完全なる解放

  • 5年間の司法によるサガの最後にして少なから新たな展開。何であろうか?
  • 詳細にこだわらず、大まかに言ってみると:
  • 法令を厳しく遵守し,わかりやすい私の会社とダイビングインストラクター河合美和子との間の契約書の存在に関わらず,私は労働違反の罪を疑問視された:
  • “技術監督者”のポジションはなぜであろう? これはさらに簡単な事である。
  • ヌメアダイビングにおいて技術監督者であったRene T,そのポジション故に一晩の警察勾留におかれ,明け方,恐れと大きすぎるプレッシャーに警察に屈服した。検察官長Richard DUTOTは,即時,私と対面させる事を要求したが,その結果検察官長にさらに敗北を与える事となった:私はRene T.との契約書と官報に記載されている事実を述べ,それは現実的に無視できない事実であった;さらに,Rene T.が家にたどり着いてから,彼は,2008年10月2日の警察勾留終了の時点をもって技術監督者を辞職する旨の公式な書留書簡(フランス語文書)を送ってきたのである...
  • 気にする事はない! 検察官長Richard DUTOTは,私が『事実上の』技術監督者だと,彼自身で決定したのだ.
  • (そして結果的に,司法サガ始まり,私は松本氏の過失致死事件においてこのポジションを与えられ召還された)
  • この公式な重要書簡我完全に無視された事と,私の弁明において弁護士全く使用しなかったというのも全くおかしな話である。
  • 冷酷を極める頂点は,既にニューカレドニアに住んでいないのにも関わらず(私が既にダイビングで働く事を許されていない事を思い出していただきたい),“本人”召還されたのである。そうして,審理は3度延期された...
    こうした事から,私の弁護士Mr DESWARTEは本人の代理で出席する事を許可してもらえるよう請願し(これさえも費用がかかる...),そして検察官は私を出廷させるよう逮捕状!(フランス語文書)を請求した...最終的に,議長裁判官は弁護士の代理出席を容認した...信じられない。
  • ダイビングインストラクター河合美和子は,倫理問題に12,570ユーロ,彼女の経済的損失に2,565ユーロの慰謝料の支払いを私に要求した!(“恥知らず”としか言いようがない)
  • それに対して私の弁護士は解放を要求した。(弁護士の記した事は,悪夢のような司法フィクションの中で酸素と事実の風船のようであった)
  • 2013年10月7日,全ての主張に対し私は完全に解放された!
  • 解放というのは全く罪がない事を意味する,言い換えれば,全ての事件は空っぽなのであった。はっきりとしており,これもまたショッキングである。
  • その事件は,全ての司法サガにおいての礎であり,私の全ての仕事上,社会生活上,家族生活の崩壊の元凶であったのだ。
  • 審理のすぐ後であり判決の1ヶ月前,いつもの習性により,地元の新聞"Les Nouvelles Caledoniennes"は,審問者のように起訴への全てのまとめを載せ思い出させようと,私についての中傷的主張をタイトルとした記事を出した...
  • メディアを通したこのように決定的な破壊の後に起こった,私の解放についてのニュースは驚くべき事のようで,テレビでさえもそのニュースをながした...そして解放にも関わらず,"Les Nouvelles Caledoniennes"は私の破壊を続けた。
  • 12.ニューカレドニア司法,エピローグ

  • 前略
  • 私の思いの全ては,私と同世代の犠牲者,残されたご遺族にある。私はご遺族とアメリカ発祥の非常に商業的なダイビング協会への怒りを切り離す事ができないので,何とも言いようのない悲しみがある...クレジットカードを使う(お金を払う”)事さえできれば誰でもダイビング“インストラクター”と“なる”事ができ,保険契約を結んだ後に免責同意書に記入するのである。従事するものたちは,共犯者なのか,犠牲者なのか? ある事は確かである,彼らがその組織と精神を形成しているということだ”。
  • これらの事実をどのように考えられるのか:
  • 後略
  • 13章,14章,15章 略