ニューカレドニアへの投資者に警告:“交友関係”による“植民地”裁判とメディアに直面したRaoul MONTHOUELの例。罠の話。
無実の人間が,プロの検察官に対し自らを弁護しなければならない時,数々の形式上の荘厳で壮大な儀式とともに司法道具を通して検察官の執務室に入れられると,無実の人間はとりわけ攻撃されやすく,まさにパニック症状にみまわれ,完全に方向を見失い,力をなくすのである。不幸にも,司法は今日男女の遊び道具となり,我々社会の欠陥と暗黒面の実りとなっている。司法に従事するものたちは,共犯者なのか,犠牲者なのか? ある事は確かである,彼らが司法における組織と精神を形成しているということだ。
“正義は,不正の確立を是認する”Anatole FRANCE (1844-1924. French National Academy, Nobel price 1921).
この事件において,被告に対し,偉大なる貢献をした人々(完全なるリストではない):
検察局 Mr Richard DUTOT, Mr SIMETE, Mr Jean-Louis PAGNON, Mme Fabienne OZOUX, Mr SIMETE
判事 Mr Jean PRADAL, Mr LAUQUE, Mr FRIAT, Mr BERNARD, Mme LE TAILLANTER, Mme DE COLLORS, Mr VIDALLIER, Mr Gerard FEY
判事補佐官 Mr Jean-Louis THIOLET, Mr GUEPY, Mme Anne AMAUDRIC du CHAFFAUT, Mme GICQUEL, Mr GRESEQUE
弁護士 Me Magali FRAIGNE, Me Serge BERQUET, Me Fredeic DESCOMBES, Me Caroline DEBRUYNE
海洋局 Mr Vincent DENAMUR 青少年スポーツ局 Mr Gilles ROULER 労働基準局検査官 Mr Philippe BOYER
PADIインストラクター Ms 河合 美和子 ニューカレドニア日本国名誉領事 Mme Marie-Jose MICHEL
“非公認”通訳者 Mme DELRIEU 敦子 S.P.T社員、Mr Richard DUTOTの妻 Mme たかはし まゆみ
S.P.T & ダイビング会社アリゼ経営者 Mr 堀 正孝 ダイビング会社ラグーンサファリ経営者 Mme Annabella DE CANDIA
アメデダイビングクラブ経営者 Mr Bernard ANDREANI コリーンエクスカーション経営者 Mr Jean-Francois CRUELLAS
海洋憲兵 Mr Marc RANDON, Mr Nicolas KERISIT
ニューカレドニア新聞社“Les Nouvelles Cal?doniennes" Coralie COCHIN, Philippe FREDIERE, Pierrick CHATEL, Mr Sylvain AMIOTTE, Mme Geraldine PION
バヌアツデイリーポスト Mrs B.J. SKANE - Mrs Glenda SHING
ニューカレドニアにおいて26年間,この海外フランス領で優れたダイビングサービスを提供するため,大きなダイビング船‘インペレーター’を含む何隻かのダイビングボートを使用する,最も立派な観光客向けダイビングオペレーションを私は作った;二度と便りを聞く事のなかった私より以前に存在していた多くの人たちと同じように,ビジネス上のねたみと友人関係の結びつきが私を追い立て,“ニューカレドニア丸”という船の望まぬ乗客となり,大海に瓶が投げ込まれるように去らざるを得なくなるまで,17年間事業を発展,経営してきた。
私はこのような失望を味わった最初の人物ではなく,事実26年間,直接関わった事はなかったが,抽象的な概念の一部,もしくは単なる噂や逸話の種として,私の経験と似通った数々の話を何度となく聞いていたのだ;そしてある日,そういった話の一つが私の身に降りかかってきた:私は渦中の人物となった!
おそらく私の話は、全てのダイビングサービスのマネージャーを筆頭に,少し前のフランス領において存在していた予審判事制度(*)や警察勾留の廃止に関する論争に関心を持つ人々の興味をかき立てるであろう。(この警察勾留は既に廃止されている)*公判にかけるかどうか決定するための判事による取り調べと審理
他方,“世界の果て” への投資を考えている方には,輝かしい角度からかけ離れた“トロピカルパラダイス”についての深刻な面を発見できるであろう;政治、社会、経済において、私が“拡大効果”と呼ぶものが付随する小さな社会:気がつかないどこかで始まり...周囲から浮き上がったり,異常な速度で事態が悪化したりするのである。
しかし,何よりも自由とコミュニケーションのすばらしい手段 “World Wide Web” に感謝の念を表そう。広大な海で迷う代わりに,私の小瓶はメッセージを届けるのである;投資者,移住者,冒険者,旅行者,友人にインスピレーションと考えの源となる本当の話を語るだろう...
ここで私が言及する事件は,私の発言を取り上げない状態で裁かれた。出廷した検察官長の一人が作り上げ,メディアがリークし,起訴の説示となった事実とは別の説明をする時がきたのだ。私を支え続けてくれている親類家族,友人,知人たち,また興味を持つすべての人々に,私の観点から見た事実を考慮する事によって,彼らなりの意見を形成できるかもしれない。
私の説明の真実性と透明性を明らかにするため,調査報告書と裁判の中で完全に無視され,検察官オフィスの迷宮でファイルから消滅したかもしれない驚くべき公文書数点が,文中でリンクされている...
この話を書いている現在,この事件の最終章,もしくは“これらの事件”の最終章といった方が適切であろうか,私の会社,私自身,原告側をさえ巻き込んだ,何年間にも及ぶすべての法的行為に対する連続不正行為の後の,分別ある解放によって終わろうとしている。
私の弁護士が休暇から帰ってきた際に概要を理解できるよう,2009年1月9日に作成した,ビジネス的な事件背景の想起とともに,主要なできごとの年月順要約(フランス語文書)がある。その少し前,検察官長が私に弁護の用意をする時間を許さないままに,法廷への私の召喚を急いだ件があった(審理は2008年12月31日)。
ここに,その要約とその後に起こった事を記す。
私は,一連の事件のクライマックスであった2008年12月31日の裁判への召還より5年後の今,この事について書こうと決心した。なぜなら,ニューカレドニアの他の新聞社が書いた記事をインターネット上で集めた中傷的な記事を,ポートビラ(バヌアツ共和国)の低俗な新聞社が同じような醜悪な振る舞いによって露出し,私はスポットライトの中心に据えられたのだ;私たちは,ゴシップ市場が勝者だと理解するべきなのか?
いずれにせよ,この2つの新聞社は,私について書こうと企画した時点で,私にコンタクトをしてくることは決してなかった。彼ら自身でこの視点は異議がないものと認めたため,根拠が確かな事柄となったのだ。非常に不可思議な新聞記者の職業倫理である...
このようにして,私の暗黒裁判時期に関連する全ての中傷的な主張がインターネット上に陳列された(フランスにおいては違法(フランス語文書):個人情報にアクセスする権利《data-processing and freedoms》 1978年1月6日修正)そして今,商業主義であることは疑うべくもなく、おそらくビジネス上のねたみも重なり...理由はどうあれ,“コピー,ペースト,翻訳”がされ,バヌアツの新聞1面紙上において記事が載った。私は“犯罪経歴を持つフランス人で、ニューカレドニアでのダイビングを禁止されている”という資格を与えられた。
しかし,“フランス語バージョン”の影響力がフランス語を話す人のみに限定されるのであれば、“英語バージョン”の持つ影響力は無限大であり,私に及ぶ被害は甚大である。 “沈黙は同意なり”ということわざを考えれば,私は話さなければならない。
ニューカレドニアでの私生活,試練,苦難については,長過ぎるのでここでは書けそうにもない。“恨みを晴らす”事については,私はそれよりも“Carpe Diem!=今を生きる”方がよい;しかし,とりわけニューカレドニアの観光業界において言える噂,交友関係,ビジネス上におけるねたみ,無能力な行政とあわれな分別不足などにあおられた,まさに司法の罠を通して,地獄の穴に落とされるに至った経緯について,そしてバヌアツのメディアが私を手ひどく書いたことについてが,現時点での皆の関心ごとであろう。
これらの事件を如実に物語る部分とそれに関連する驚くべき書類について述べる前に,特殊な観光業界について考えを巡らせてみる事が適切であろう:
簡単且つ安上がりに,最も成功しているライバルを排除するにはどうすればよいだろうか? 最も効果的な方法は,交友関係を利用し噂を流し,行政とメディアに告発する事である。
この方法は,新聞紙が情報不足と発行部数を補うため,尽きる事のないゴシップソースにおそらく誘発されごく小さなものから壮大な物語までたくさんの新聞欄を与え,時にはそのゴシップ記事の犠牲者自らが罪をはらそうと記事を提供したり,不幸にもニュースソースや発行においていかなるコントロールも存在していないような小さな社会において,とりわけ効果を発揮するのである。
その破壊的効果は即座に現れ,別のまじめで信頼性のある新聞紙に使用される事によって“公式”のものとなるため,このようなメディア出版社は非常に有害である。さらに悪い事には,すべての法的手続きは何ヶ月にもわたり時間とお金を費やすものであるが,トラブルを引っ掻き回すリスクが存在する! これら小さな新聞社の管理者は,この事実を熟知しており,仕事を遂行しているのである。
少なくとも,司法界はこの仕組みを完全に理解しており,世間や政治家の意見,法廷命令に影響を及ぼすため,もしくは恨みを晴らす事を目的に,司法界自ら“メディアリーク”を迅速に組織するという事は秘密でもなんでもない。
しかし,もし新聞記事にかかれた事が大多数の者にとって“絶対的真実”であるのなら,いくら新聞自体の発行部数が限られていたとしても,今やインターネットの時代である。新聞のウエブサイト,簡単なブログなどが検索エンジンによって際限なくコピーされ,(多かれ少なかれ正確に)翻訳さえされて,消えない情報がウエブ上で広まる事は疑いようもない事実である。
2008年12月16日,私は大きな遊びをしなければならなかった...
終日,警察の勾留と取り調べ,(まるで映画のように)写真と指紋採取,手錠,警察車中にて待機,裁判所独房,検察官長Mr. Richard DUTOTに執務室にて紹介される。このノーム(地中の宝を守るとされた伝説上の醜い小人)のような顔つきの30代の男性は,(迅速に得られると期待していた)私の自白を引き出せなかった事に対し明らかにいらだっており,今,私を打ちのめすために,司法道具を利用しできる限りの事をしているのである。
彼に対し私は,ほぼ70時間の警察の勾留(*)と,この2ヶ月間で90時間にも及ぶ取り調べ,最終的には内容のない警察による山ほどの調査,捜査,差し押さえなどのため疲れきっていたので,最大限の無関心を装う必要もなく無反応である。最終的に,私は,この話の軽蔑に値する結果を見る事が待ちきれなくなっていた...
*フランスの法において,警察による拘留は,テロリズムに関係する特別なケースに関しては24時間から48時間に更新する事ができる。勾留目的は,限られた時間内に,地下の居心地の悪い独房監禁によって圧力で打ちのめし,自尊心を傷つけ,自白を引き出す事である。ヨーロッパ法廷では,このフランスの勾留システムを人権を尊重していない恥じるべき手段と評価した。今日のフランスにおいては,もはや認められていないシステムである。
検察官長は,裁判出廷の召喚を私に告げる...12月31日! 15日後に,事実を遥かにしのぐ、法律用語で罪を重くするよう工作された数々の詳細と共に“事実上のダイビング監督者と事実上の技術監督者”の立場を与えられた“人物”として。 この段階で,私はもはや何事にも驚かなくなった。
そのよい例として,検察官長は,(犠牲者と仮定される、私のビジネス上のライバルの主張だけを根拠として)私の船が“他人の生命をおびやかした(フランス語書類)”という事件を加える。
そしてついに,この検察官は,全ての法が記載されているはずの官報に記載されていない,私がどこにあるのか全くわからず適用されない規則をもとに‘(ダイビング船に対する)労働協定に違反した仕事道具’という項目を加えたのである。
こうして,私に対し想像しうる限りのすべての容疑がここに出された:ダイビング監督者,技術監督者,ダイビングボートの船長,船そのものに対する労働協定不足。
検察官長はノイローゼだ! もはや何の反応もない場所を一生懸命にノックをしようと,遥か彼方に行ってしまっている。当時の私の心境はおおよそこんなところだった。
私の理性においては,“我々の”裁判所が罪名不足に直面したときに容疑を発明するのは不可能であり,有名な“推定無罪”は人が造り出したただの言葉だとは考えられないという,おそらく世間知らずの信念を持っていた。この時点において,こういった幻想はなくなり...考え直しようもないものとなった。
引き続き,“自由を司る裁判官”への挨拶での問題は:私を刑務所に入れるのか,そうでないか?(この段階で私は前科がない事,“犯罪経歴証明書において記録がない”事,容疑は私の会社のスタッフに関係するべきであった事などを読者に対してはっきりと述べておかなければならない。)
宗教裁判官の風貌を携えた尊大な裁判官は,両脇にアシスタントを従えている。緩慢な動作...書類を見て考えるそぶり...この3者は,彼らの権力効果が及ぼすものを明らかにゆっくりと楽しんでいる。質疑。応答。私の弁護士代理Mme J. BOUQUETは,その場に不似合いなかすかな声で,私の弁護を述べる。そして審議...待機...再び呼ばれ,寛大な慈悲により刑務所には入れないとの事。
私の弁護士代理は,15センチから20センチもの厚みがあるファイルを渡される:裁判前のこの14日間でしっかりと消化しきらなければいけないのだ! 弁護士のみがこのファイルを手元においておける権利があり,私には許されていないのである。
検察局では,私の弁護士Mr DESWARTEが休暇で海外に行っており,来年の1月初めまで帰国しない事をよく知っていたのである。このような陰謀がどうして可能なのであろうか?
私たちは裁判所を後にし,弁護士代理Mme J. BOUQUETはこの分厚いファイルを私に渡す...この紙の山を一瞥し,それから愚かで不快な虚偽を読み始める...そのすべてをよく理解し意見する事には,3ヶ月以上かかりそうであった。すべてが悪意ある批判である。不可能である。多すぎるのだ。
この時点で,私は,弁護士代理の Mme J. BOUQUETを維持する代わりに,他の法律事務所を訪れるというミスをおそらくおかした。しかし,“自由を司る裁判官”の前における彼女の弁護能力は,私にとても悪い印象を与え,問題は審理の延期リクエストが却下された場合,この12月31日に弁護してもらわなければならないという事であった...そして却下されるであろうという事は明らかであった。このような理由から,たとえ私の弁護士が後に帰ってくるのだとしても,友達の(間違った)アドバイスに従ってMme Severine BEAUMELを訪れる事を選んだ。
翌朝,検察官長の秘密の引き出しから直に作られた虚構に関する罪名のすべての詳細が,そのまま現実になった事を私は発見する...
まさに,ローカル新聞の最初のページにすべての罪名が取り上げられ,ニューカレドニアで唯一の日刊新聞とそのインターネットウエブ上において,様々に変化する不確定用語(ーによると,のようだ,と思われる,と疑われるなど)を注意深く見ている読者意外には,それらが真に正しい事やすべての罪名において私が非難されるに値する事が疑いようのないように載っているのだ:陪審員による裁判を行う前に,メディアによる裁判を行われている。
不幸な事に,これはメディアの報道と検察官長Richard DUTOTの執務室から“リーク”される事の始まりであり,起訴への声明書と説示は地元の新聞を通して裁かれる事になるのである。
市中と国中に流れているこのような広告に直面して,裁判所における12月31日の裁判はただの劇場パフォーマンスだと私は感じるようになった;なぜなら私は一般市民の意見によって既に裁かれており,このメディア裁判は控訴ができないのである。ブラボー,ミスターRichard DUTOT!
続きを読んでいただくに際し,ニューカレドニアのダイビング規則によって,アクティビティにおけるすべての責任は,“ダイビング監督者”(ダイブサイトに常駐)と“技術監督者”(ダイブサイトに不在も可)にあるという事を知っておいていただきたい。
2008年9月22日,日本人旅行者が溺れる事故があった日,下記の運営スタッフが直接関わっていた:
このアクティビティのすべてが,日本人客と(会社と契約を結んだ)インストラクターの間で日本語の書類を使い,完全に日本語で行われており,私のように日本語を話したり読んだりする事ができないものが担当する事は不可能だ,という事実を思い出していただく事が不可欠である。会社が日本人インストラクターを雇用していた理由はその点にしぼられるのである。
とても単純な理由からである:
出元は噂だが,検察官長Richard DUTOTは,私の地位が迅速に転落する事を約束したのである。(これについては別の章で言及する。)しかし事件は罪を与えるにはまさしく空っぽで,警察の取り調べにおいて私は屈服しなかった;さらに,私はダイビングと海洋規則についてよく知っていたので,的を得たコメントを出していたのである。そして,私が船上にいる事は横暴にも許されていなかったし,それに勝る横暴な事に,アクティビティを行うために必要不可欠なダイビングコンプレッサーは理由もなく使えないように封印されていたのにも関わらず,私の大きなダイビングサポート船は極端にも毎日動いていたのである。さらに悪い事に,他に法的に止められる理由がなかったのだ。
私の会社は法的な面においては,雇用規則も含め完全にすべての必要条件を満たしていたにもかかわらず,今回は労働基準局に検察官長は幾度も直接の照会を行い,基準局の役人は多種多様の労働規約の法律違反の証拠(この人物は明らかに“証拠”と“視点”を混同していた)を検察官に主張したのである...ヌメアダイビングのすべての雇用と役職は虚構のものであるか,正規のものではない...言葉が見つからない!
この瞬間から,検察官は,彼らの大権を行使し“事実上の”責任を引き受けさせて,私を他の人間の代わりに召還できると考えたのだ。
12月31日,私を出廷させるだけでなく,労働規約における多くの(証拠なしの)違反の罪が確立されたと考え,それを参考として,最も重要に関わっている人物,日本人インストラクター河合美和子(私の罪の犠牲者として) を完全に解放する法定審理の討議をする,この点を指摘する事は取るに足らない事ではない。
しかしながら,5年後の2013年10月7日,私は裁判所命令で完全に解放されたのである! 不幸にも,検察官の罪,怠慢,虚偽...などを基盤とした司法とメディアの私刑を受けてから長過ぎる時間だった...しかし検察官は全く無実なのである。このような行動について,彼らをどう規定するか今もって私にはどんな激烈な言葉も思い浮かばない。
その頃,他のフランス領の検察官で,以前にフランスの裁判官の学校で先生をしていた人物が,休暇でヌメアの友人宅を訪れており,私は彼に紹介された。
2008年12月31日の法定審理の何日か前に“私の事件”を彼と話していると,彼は刑法を開き,同じ判事からの一つの事件に関して,主要な照会事(過失致死)と平行して異なった照会事で69時間を超える警察の勾留がされている事実,本来は24時間の更新のみが許されている事実とによって私の人権が守られていない事を示した。彼は,私に手続きエラーとすべての訴訟手続きがキャンセルされなければならない事を説明したのである!
さらに詳細と審理の日時を語ったところ,彼は私に「31日に審理をさせてはいけない,この裁判は司法の罠だ」と警告した。この行を書いている現在,私は彼の適切な評価に脱帽している。
事実,事件のすべてがある意味では非常に批判しやすく,まさに驚くべき事ばかりである。(調査報告書と全ての裁判において無視された)証拠によって,誰にでもすぐに理解できるの事ばかりなのである:
保険会社DANヨーロッパは,調査のためにオーストラリアから調査官を派遣した。この調査官は事故状況についてのよりくわしいものを報告書(英語文書)にまとめた。
調査官は,私の声明書と共に,目撃者としてのもう一人の日本人インストラクターからの声明書を確かなものと確認した。しかし調査官は(私の弁護士と同様に),事件のどのような書類も全く閲覧できず,当局関係者の誰とも会う事ができなかったのである:全てが“ブラックアウト”したのだ。
序文において述べたように,2009年1月に行われた告発と調査において,弁護士がよりよく状況を理解できるよう年代順出来事を含めたヌメアダイビングの歴史(1992−2009, フランス語文書)がある。
ダイビングビジネスに関連した商業的雰囲気と態度がよく要約されている。
5年後の今,私の“サイコロは細工をされていた”ので,国を去る事にした私の決断は全く持って正しかったのだと理解している。
私は自分の弁護士が休暇で海外にいる間に,“ダイビング監督者”と“技術監督者”として責任に立ち向かう一方,真にその資格を与えられる人物たちは,ショーが行われている法廷で観客として座っており,あるいは日本の自宅にいたのである。しかしながら,会社において自分が全ての仕事,義務,責任を同時に背負っているのかと考え,私は内心一人で笑っていた。
Mrs Severine BEAUMELが私の弁護を担当していた;若く,美しく,意欲のある人物である。前日,私は彼女に審理の延期要求を書き,念を押したが,夕刻,彼女は検察官から電話を受け,弁護を行うイニシアティブを取った。どちらにしろ,私は延期願いが聞き届けられないとわかっていたのだ。しかし私は経験不足と刑法の間違った解釈によって,彼女が手続きエラーを理由にキャンセルを要求する勇気がないのだろうと思っていた...満場の法廷において大異変を起こすはずであったのに!
私はスピーチを許されてすぐに(私は自分でスピーチできる事を強く願っていた),69時間におよぶ警察勾留について抗議を申し立て,検察官長Richard DUTOTの怒りをかき立てた。彼は立ち上がり,恐ろしく攻撃的な声で「それは間違いだ!」と叫んだ。(しかしながら,彼はもし私の弁護士がその場にいたら,必ず指摘したであろう事を完全に理解していたし,だからこそ弁護士休暇中の31日に出廷を要請したのだ。)
そのときの私の弁護士Mrs Severine BEAUMELは何も言わず,その何時間か後,明らかに睡眠中の観客と陪審員を目覚めさせるには不可能な女性的な声で説得力の全くない弁護をした。彼女は演説の最後に,事件からの解放を要求した。実はずっと後になってから,これが刑事裁判における彼女の最初の演説であったと知らされた...彼女が私に知らせた事実とは全く違うものだった。さらに悪い事に,彼女は法廷弁護士事務所において新入りだったため,“お金を稼ぐ”必要性があったので,保険会社からの支払いを待たずに,保証金として渡していた4,200ユーロのチェックを即刻現金化した。
またこれも後に教えられたのであるが,裁判キャンセルへのリクエストは,裁判開始の一番初めに私の弁護士によってただちにされるべきで,この機会を最後にその後では遅すぎるのだった。
彼女はこの事実を知らなかったものと私は考えている。なぜなら私は前もって弁護士にこの重要案件について何度も念を押していたからだ。地下の独房に入れられた事への恨みを晴らしたいと強く願っていたのだ。
議長をしている裁判官は,審議の始める前に,全ての件を同時に審理するには量が多すぎて不可能なので,過失致死事件を除き,他の全ての事件を延期するように決定した。
検察官長Richard DUTOTが不満の意を表したので,議長は,検察官長が望むようであればいつでも,他の(延期された)事件についてこの事件で参照にできる事を述べた!(まるで既に裁かれたものであるかのように...そして罪名が確定されたかのように!)我々は,“本物のフィクション”にはいったのだ...“大きなゲーム”のようであった。私は網に捕まったような気分であった。弁護士はあまりにも静かだったので、私は完全に存在を忘れていた。
私は証人席に立ち,審議の最初に議長裁判官が読んでいる調査報告書のメモを取っていた。
驚くべき証拠の主張と共に,もっぱら非難を元に作られた仕事に気がついた。その例は:
私は完全に“私の”事件と関連する全ての規則をわかっていた。十分に自己弁護する事はできたのだが,議長裁判官のあまりにも長い演説の後に答えるのである。あまりに多くの間違った主張を読まれ,証人とも考えられる全ての観客にそれを聞かれ,怒りの煙で充満した頭で,30分間以上もその一つ一つを頭に止めておく事は難しすぎた!
静かではあるが私の背後に感じられる満場の法廷の気配と,何度も私の後ろにやってきては,メモを取る事をやめて概要を読んでいる議長裁判官の方を見る事を要求する私の弁護士,私は大きなプレッシャーを感じていた。
何時間も続けて立っていたので疲れてはいたが(8時間の審議の間,私は着席を全く許されなかった),全ての適応される規則と合致したデモンストレーションをしていたので、どの項目においても法的にとがめを受けない事に,私は自信を持っていた。
しかし,プレッシャーから,この事件の訴訟手続きのすべての茶番劇において,私の処遇があらかじめどれほど決められていたか,私は気がついていなかった。
検察官長Richard DUTOTは,私の身柄を今すぐに刑務所に収容する事を要求したのだ! 年越しのディナーのために...幸運な事に,議長裁判官は従わなかった。
既に述べたように,これはある種壮大なフィクションで,この裁判のすべてが大きなお楽しみなのである。
翌日,新聞は私が驚くべき方法で自分を弁護したと述べた。観客は全ての罪が前回の記事や噂,起訴説示の中で述べられたようにはっきりとしたものではないと,ついに発見したようだ。
私は自己弁護する事が罪となるのである...。
ついに,ライバル会社3社のうちの1社“ラグーンサファリ/Annabella DE CANDIA”からの2008年2月9日の事実による新しい抗議の申し立てによって,私は2009年3月20日,法廷に召還された。
前回の抗議は,どのような理由で成立しなかったのか私は覚えていないのであるが,私の弁護士の法律事務所を通し,そのファイル(フランス語文書)を閲覧し、反証の書類を作った。原告から提出された証拠は嘘をついているだけでなく,“他人の生命を脅かした”という点を,繰り返し,よりいっそう罪を重くするようされている事が明らかなものであった。彼らの警察証明書,海洋規則,ダイビング規則により私の反証を作りあげた。疑いようもなく非常にはっきりと正確な反証で,私はとがめを受けなかったのである。
私が召還された“ラグーンサファリ/ Annabella DE CANDIA”からのこの新しい抗議は,上記で述べられた前回の抗議から2年越しのものである。ここで私は読者に思い出していただきたい。この件は,事件の全てをさらにひどいものにするよう,特に私にあわれで悪いイメージを与え,16年間のダイビングアクティビティの非のうちどころのない(模範的とも言える)行為を横に押し流し,過失事件が“水漏れしないよう”後押しするため,元々過失致死事件と共に審理するようにされていたのだ。
元々の抗議への私のはっきりとしたコメントは,2009年3月20日の裁判の際に私の弁護士によって裁判所に提出されたが,(過失致死事件の全ての証拠のように)ゴミ箱に捨てられたであろうことは,疑いようもない...この後を読めば,すぐにわかってもらえる事であろう。
事件について司法界と海洋当局の間で何らかの取引があったのであろう事は,非常にはっきりとしている。下記リンクの書類が如実に語っている。(書類の全ては当局と訴訟手続きにおいて完全に無視された):
真実の話は?
上記2009年2月16日の弁護士宛の手紙と,2008年12月31日の裁判を前にRichard DUTOTから12月16日に召還を受けた件で見えてきた事は:
検察官長Richard DUTOTは私に関連する事件,(おそらくすべての)ファイルを事態が煮詰まってくるまで持っていたものと考える確かな根拠がある。よって:
私は文字通り全てのダイバーと共に“ライオンの檻に投げ込まれ”,危険にさらされた。
(軽く見積もっても)非常に疑わしい海洋局長Mr Vincent DENAMURの振る舞いについて...
利害関係において
事件のあった日(2008年2月9日),ラグーンサファリ / Annabella DE CANDIAのダイビングボート上のダイバーの一人であった人物が,2009年3月20日の審議に来ていた;原告側が法廷に来なかったため,彼は“ショー”に来た唯一の原告側サイドの事件を知る人物であった。
議長裁判官が聴衆に向かって,誰か事件の日にその場にいた者はいないかと尋ねた時、討議で自分の意見を言う機会がおとずれた:
裁判官:「あなたは身に危険を感じましたか?」
証人:「いいえ、全く」 彼は素直であった...これ以降,彼について話すものはいない。
私はまさに没落する男で,この裁判は茶番劇であったが,全く面白くないものだった。これは罠だとあなたは思いますか?
判決は他の事件に見合う:
特に2008年2月9日の事実に関して,その声明書,証言と矛盾した証拠,事件ファイルが完全に恥知らずな虚偽と多数の規則違反で原告側に罪があるのにも関わらず,私は(州裁判所において)判決を言い渡された。
ラグーンサファリ / Annabella DE CANDIAに罪があり,私が無罪となるはずの全ての書類(Mr PD や Mr MFの証言など)は,当局から完全に無視され,もちろん、裁判所に置いても同様に無視された。(証言はPD氏もしくはMF氏)
2年間の私の数えきれない海洋報告書,警告,災難は何であったのであろうか? 事件の重要な証拠であるにもかかわらず,無線ラジオ16チャンネルにおける通話記録を入手できなかったことについてはどう考えればいいのであろう?
告訴と結果の重要性の点において,ここでも,判事による調査が欠落している事は驚くべき事である;調査は検察官長Richard DUTOTの手中におかれ,さらに:共謀の証拠まであるというのに!
判決は極端に気違いじみたものであった:即時効力を発する3年間のダイビング禁止。
言い換えれば,ビジネス上のライバルの主張だけを元に,私の会社は終わりを告げられた。
想像もだにしなかった展開である。(この判決がくだされるまで,ダイビング船は活動しており,何者も“法的に”止める事はできなかったのである)